私は現在、小学校教員として地方の小学校に勤務している男性教員だ。

教職に就くことは中学生からの夢であり、表面的には私は夢を叶えた人となっている。

が、現実はそれほど甘くなく、国家から教職員として認められたとしても、子供が私を教員として認めてくれなかった。

一部の児童の埒外な行為を制止することができずに、学級の秩序は乱れ、崩壊を招いた。

保護者からの信頼も子どもからの信頼にも応えることができず、

日々の職員室で私は何をしているんだろうかと自問自答を続ける日々が続いた。

私は教職に就くべく「器」では無かったとして、できない自分に納得し、現実を受け止めたふり

「担任」としての自分の思慮の浅はかさを悔い、その悔いを次の機会に生かそうとするというよりは、

やはり自分は教職に向いていなかったのかもしれないと、一種の諦観に縋るための材料にした。

このままだと、自分のことを自分でどんどん嫌いになっていきそうだ。

来年からも教職を続けることを目標に努力し続けることが私にはできるだろうか。

今はその自信がない。

だからといって、今すぐに「辞める」という選択肢を取ることができない自分も悔いた。