勝手な思い込みかもしれないけれど

現在よりも個々人がそれぞれの情報と距離をおくことができていた時代

自身の思考と世の中の「価値観」が同じくらい等しく扱うことができていた時代

自分が知りたいと思うもの・興味のあるものでさえ、すぐに「解答」をもらうことができなかった時代

現在よりは人はよりよくものを考えることができたのではないかなとも思う。

自分の言葉で自分勝手に話しているので、伝わるかどうか分からないが、

私も含めて、今を生きる人は「簡単にそれらしい答え」を得ることができてしまう。

疑問を感じる対象に対して、検索エンジンに問いかけることで

様々な方向からの回答を得ることができる時代になっている。

だから人は、目の前にそれらしい答えを提示されて、簡単に納得し、考えるのをやめてしまう。

他者にとって提示された解答は、一種の気休めにしかならないものの、

刹那的な安心感は与えてくれる。

自分の人生の決定権でさえも

インターネットのより「それらしい答え」に導かれて、

自分なりの回答を導くことができなくなっている。

だからこそ、今を生きる人には「内省」が必要なんだ。

自分の経験によって確立された、内省によって煮詰められた「思考」が必要だ。

これは本質的に、「他者にアドバイスをいただく」姿勢で共通でもあると思う。

本当の「智慧」というのは、「自己」のフィルターを通さないとものにならない。

ー「行動」は自分自身の思惟によって、「評価」は他者の思惟によってなされるものであるー