最近になってつくづく感じるのだけども、努力の方向性というか、努力の方法が間違っている人が多いのではと思う。

勉強や趣味、恋愛、職場の人間関係にしても、一定の成果を上げるためには、それなりの「努力」は必要になるが、

その「努力」をどれくらいの視野、観点を持って行うことができているかが非常に重要なのではないかなと思う。

例えば、努力の方法として、「誰よりも職場に早く入って、仕事を始め、夜遅くまで残業をする」という選択を

してしまっている人は、それが達成できていることに関して満足してしまって、それ以上の努力をしようとしない。

「業務を効率的にこなすためにはどうすればいいのか」

「他の人が働きやすいように動くにはどうすればいいのか」

「子供たちが授業を楽しく受けることができるためにはどうすればいいのか」

そのような「問い」を持つことがなくなり、他者から見れば、

本人にとってそれが「勤勉」であるつもりだったとしても、「向上心のない人」と思われてしまうことにも繋がる。

「努力」をするということは、無我夢中に力任せに動き回るということを指すのでない。

達成する(したい)「目標」を定め、そのための「手段」を模索した上で、挑戦を繰り返すことである。

それをしなくなった人は、現状の自己流の「努力」に胡座をかいて、勝手に満足している自己満野郎だ。

ちょっときつい言い方になってしまったが、これは自分を含めた自己満野郎に向けて発信をしている。

せっかく「努力」しようという志を持っているのであれば、その志を正しい方向に使おうではないか。

気持ちだけでは、現状を変えることはできない。

現状を変えるための「方法」について模索しよう。