土曜日、信頼している職場の先輩に自分が「転職」を考えていることを伝えた。
現在、学級が立ち行かない状態になり、主幹教諭に入っていただいてなんとか立ち直しを行っているということ。
私自身、来年度になって35人学級を受け持って、その児童たちを正しい方向へ導いていく自信がないということ。
学年団を組んでいる先輩教員とは相変わらずで、互いが歩み寄ろうとする意思はあるものの、
互いの間に広がっているのはもはや平地ではなく、深い溝ができてしまっていて、
互いに大声で叫んだとしても微かにしか届かない。
そんな状況を鑑み、私は「教員」で居続けるだけの「意志」が尽きているということ。
私の力不足によって生じた重すぎる「現実」を前に、
私はそこへ「立ち向かって行こう」とする反骨心というより、
ただ黙って「現実」を受け入れてしまおうとする気持ちの方が強くなっているということ。
転職の意思について伝えると、先輩はこう返してくれた。
「現状を変えたいからという理由で転職をするのはお勧めしない。
何か別に自分の中でやりたいという気持ちがあって、プラスの気持ちがあるのなら別だけれど
それが見つかるまでは、今の職業を続けてみてもいいんじゃないかな。」
先輩の言うことは尤もだと思う。 正論だと思う。
けれど、世の中の転職している人の全員が全員がそんな前向きな理由で転職しているわけではないのではとも思う。
「現状」からの逃げの手段としての「転職」は悪手なのだろうか。
これまでの私の経験上、自分の「嫌だ」という気持ちを無視して、ダラダラとただ見栄と安定を重視するだけの時間は
私の人生の糧とはならなかった。
結果として他者はそれを讃えるかもしれないが、私には「達成感」なんてなかったし、
むしろ「喪失感」のようなものの方が大きかったような気がする。
だからと言って、無闇に「転職」を正当化してしまうのも如何なものかとも思うけれど、経験上はそんなことが多い。
(大学進学やアルバイトなんかも自分の意思で選びはしたが、
結局、自分の能力がその仕事に適しているかってより、見栄や周囲の声で選んでいたからね。)
結局、人は自分が「得意」だと思うことしか「努力」することはできないし、
「努力」の中に「楽しみ」を見出すことのできるものでしか、「継続」することはできないのかもしれない。
「現実逃避」の手段として「転職」をするのか、「現実を受け入れた」ので「転職」をするのか、難しいね。
2025.2.2 追記
結局、私は来年度から小学校教員としての道は諦めて、IT業界(SE, SIer業)へ就職することとなった。
理由としては以下のものがある。
- 小学校教諭として児童に「教育」を施すことは仕事として非常に意義深いものであるのだけれど、私自身がそこへ「熱」を感じることができなかった。(算数の「あまりのあるわり算」や国語の「ありの行列」、音楽の「パフ」(リコーダー)なんかを教えていくことに自分なりの情熱を捧げることができなかったのである)
- 「感情労働」が多すぎる。
学習規律の徹底からして、この仕事は「肉体・知的労働」というよりは「感情労働」が多い。
子供達と日々戦い続けなくてはならないし、それに負けた瞬間、学級が崩壊してしまう。
私は日々を通して、児童と闘い続けるだけの気力を持ち合わせていなかったのである。
(教頭先生が伝えてくれたが、教員は児童と保護者の「愛情」を預かる仕事である。その分、生々しいのよ…
なので、この仕事が「好き」でないと割に合わない) - ここで教員を続けたとしても、後になって自分が後悔すると思ったから
正直、教員を辞めることができる機会なんてこれから数少ないし、今くらいしかないと思っている。
そして、もし自分が人生の「最期」、亡くなる瞬間になって、
「教員を続けた道」と「SIer業界にキャリアチェンジした道」とでは後者の方が後悔の念が少なくなると思ったから
自分の人生は「一度」きりなので、自分が後悔しない選択を自分で掴み取るしかない。
そして、SIer業界を選んだのは以下の理由から
- プログラミングは自分が突き詰めて考えていきたいものであるから(自分が好きだから)
- 今後成長していく業界であるから(IT人材の不足)
- 「実力主義」ではあるが、それは自身の「技術力」を向上させてゆけば問題はないから
- 「教育」とは異なり、曖昧な、個々人の解釈による「正解」ではなく、機会的で定型的な「正解」が存在しているから
以上の理由から、私は教職員を辞めて、IT業界へ転職しようと思う。
給料は今もらっているものと比べるとガクンと落ちるだろうけれど、私自身が「幸せ」でいるために私は転職する。